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新品 :14953415876
中古 :14953415876-1 |
メーカー | db3b86 | 発売日 | 2025-05-18 06:01 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。朝岡興禎著 太田謹増訂『増訂古画備考』(全4冊揃)明治45年 吉川弘文館刊 日本美術史 日本絵画史 画人伝 印譜・落款多数掲載。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。短冊ー29 酒井抱一 しほ檐桶は沖の霞や汲行く。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。中国 陶瓷器 328図 原色版 2冊全 検索⇒支那 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 釉裏紅 唐三彩 斗彩 天目碗 兎豪 五彩 粉彩 明朝成化 明朝嘉靖。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。えぞがしま 川上澄生。現在の今上天皇と系譜がつながっている。大沼枕山序『月花集』明治2年序刊 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。和漢三才圖會 百工具 容飾具 服玩具 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 武器 兵器 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。★H533和本江戸安永3年(1774)江戸城の職務記録「御本丸廻状留」1冊/古書古文書/手書き。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。花のこだま 俳諧 楚岳編。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。『喫茶養生記』限定880部 昭和54年 かまくら春秋社刊 承元五年栄西筆「喫茶養生記」(寿福寺所蔵・重要文化財)複製版。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●A/和本 和読要領 上中下 江都書肆 須原屋新兵衛 享保13年 江戸 和本。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。古文書 「水戸裁許」 安政の大獄 徳川斉昭 水戸藩士 処分 書き上げ 歴史資料 江戸時代(レターパックライト発送)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。相撲桟敷割図。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。岳陽楼記 巻菱湖 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩巻菱湖NF。また、各巻ごとの書かれた年については不明。全集 日本の歴史 全17冊 松本武彦他。従って、応永五年とは、書き始めの年である。女学生徒之図。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。一礼之事。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。藤詩選和解都々一 初・二・三編 3冊 歌謡 和本 古文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。いせ大和まはり名所絵図道のり。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。近代医療の夜明け!/[碩田醫報第三號・佐野〇逹・明治14年(1881)]/碩田醫報社/大分県の医療史。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。仮面 復刻版 (聖盃改題) 全29冊 閑川左木夫他監/日夏耿之介他。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。●極上和本YM4883●江戸明治和本等>塩竈詣文章[塩がま詣]仙台板 稀書往来物。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。信濃高遠藩領高遠城下中林家古文書●江戸末期 中林家先祖書と家系図法名 6点 伊那郡高遠城下 現在の長野県伊那市 240328。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。肉筆扇面 浮田一惠。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。★B58和本江戸天保15年(1844)漢詩文「大橋先生書」1冊/大橋長左衛門/古書古文書/手書き/龍渓書屋蔵。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。校正地方凡例録。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。和本 写本 大工雛形 江戸時代 肉筆 絵図 伝統建築 宮大工 仏閣 社 98丁 古文書 古典籍。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。写本「滄海拾珠」明治初期写 明治時代和本 明治初期の社会学などに関する写本。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。●極上和本YM4962●江戸明治和本等>〈教訓〉福寿経綸録(安永9年) 稀書 上巻やや破損。第31帖。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。小児福神舞之図。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。●極上和本YM4865●江戸明治和本等>〈新版再刻〉江之島詣文章(江嶋詣)滕耕徳 稀書往来物。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。かわらばん 黒船来航(仮題)。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。羽州庄内田川郡湯温海村絵図。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。●極上和本YM4916●江戸明治和本等>〈名方家蔵〉婦人療治手箱底 乃底 小幡玄春 原装美本。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。教育歴史双六。白楽天の有名な漢詩です。★0372和本江戸文政10年(1827)写本「逸史」12冊揃い/中井竹山/江戸羽沢山房/松崎慊堂の塾/丹羽悳與/木村儀卿/古書古文書/手書き。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。解剖訓蒙 全8冊 約琴・列第(レイデー)原著松村矩明他訳。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。大野麦風版画 秋(仮題)。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。東海道鉄道真景。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。威海衛進撃之図。詳細な理由は下記説明欄に記載。●極上和本YM4927●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋付 本多月楽 延享3年。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。六諭衍義大意 享保7 初版本 室鳩巣 道徳書寺子屋手習本 享保の改革 徳川吉宗 洪武帝 検) 国学戦前明治大正古書和書古文書古本PK。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。共産主義用語辞典。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。●極上和本YM4928●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋欠 本多月楽 延享3年。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。珍品 巻物 徳川家康 本多忠勝 明石明五郎 慶長十六年 山法書 諸国金銀山定法山例 古文書。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《ひまに》・・・・・しの(忍)ひてみ(見)せたてまつ(奉)れは、
うちなきて、我心にも、ほと(程)ふ(経)るまゝに思ひ出られ給ふ
御さま(様)を、まほに、「恋しや。新聞「日本心霊」昭和六年十一月廿日 第四百八十九号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-5】。いかてみ(見)奉らん」
なとはえのたま(宣)はぬおや(親)にて、けにいかてかは
たいめん(対面)もあらむとあはれなり。★0351和本江戸宝永5年(1708)植物擬人化浮世草子「草木軍談賤爪木」4冊/絵入古書古文書/木版摺り。ときとき(時々)
むつかしかりし御けしき(気色)を、心つきなう思ひき(聞)こえ
しなとは、此人にもし(知)らせ給はぬこと(事)なれは、
心ひとつにおほ(思)しつゝ(続)くれと、右近はほのけしき(気色)
み(見)けり。●極上和本YM4924●江戸明治和本等>なまづくにぶるひ 鯰部類大全 木訥野夫編 災異。いかなりけること(事)ならんと、
今は心えかた(難)く思ひける。中支戦局詳解地図。御かへ(返)り、「き(聞)こゆるも
はつかしけれと、おほつかなくやは」とてか(書)き給ふ。榊亮三郎 自筆書簡6通+葉書25通(真筆保証品)田中秀央宛 昭和8-16年消印 サンスクリット学者と西洋古典学者の交流。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。医方類聚 校点本 全11冊 中文 浙江省中医研究所他校。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《源氏の君と玉鬘の姫君、手紙のやりとりで旧交を恋偲ぶ》
《(源氏の君)「あなた(玉鬘の姫君)は古里の人のわたしを、
どのように思い出していてくださるでしょうか。新亀斉著 原田義方編『新亀斉淘歌集 初編』明治19年序刊 明治時代和本 横山丸三 淘宮術 淘宮家。
寂しく所在ない気持に添えて、うらめしく思い出さずには
いられないことが多うございますが、
今となってはそれをどうして申しあげられましょう」
などとある。★0550和本江戸寛永8年(1631)東洋医学「済民記」全1冊/杉田良庵玄与版/古書古文書/木版摺り。右近が大将(髭黒大将)の
隙(すき)をみて、》・・・・・こっそりと女君(玉鬘の姫君)に
お目にかけると、女君(玉鬘の姫君)は涙をこぼして、ご自身としても
時のたつにつれて恋しく思い出さずにはいらっしゃれない
大臣の君(源氏の君)のご様子を、まともに、
(玉鬘の姫君)「ああ恋しい、どうぞしてお逢い申したい」
などとはとてもおっしゃることのできぬ仮の親なのだから、
(玉鬘の姫君)「いかにも、どうしてお目にかかることができよう」
としみじみ悲しくお思いになる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。ときおりおみせになったわずらわしいお気持を、
疎ましくお思い申したことなどは、この右近にも打ち明けていらっしゃらないので、
ご自分の胸一つで思案しておられたのである。美濃国村高帳(21郡) 江戸中期頃写。
だが、右近はうすうす様子を知っていたのである。東京勧業博覧会全図。
実際はどういう御仲なのだろうとは、今もって得心がいかないのだった。切支丹宗門禁止等につき起請文。
女君(玉鬘の姫君)のご返事は、
(玉鬘の姫君)「申しあげるのも恥ずかしいことでございますが、
申しあげなくてはご不審かと存じまして」
と、女君(玉鬘の姫君)は大臣の君(源氏の君)へのご返事にこうお書きになる。完品 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『ちりめん本 日本昔噺』(全5冊揃)明治31-大正15年 長谷川武次郎刊 チリメン本 縮緬本。
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。常盤雪中之図。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
She wept.
He had been like a father, and she longed to see him.
But it was, as he suggested, impossible.
She had not told Ukon how unseemly his behavior had sometimes
been and she now had no one with whom to share her feelings.
Ukon had suspicions of the truth, but they were not very precise.
"It embarrasses me to write to you," Tamakazura sent back,
"but I am afraid that you might be worried.
As you say, it is a time of rainy boredom.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
“寂寞庭春雨久,可曾遥念故人?
百无聊之,回思往事,恨多,但安得一一面告?”
右近趁无人在旁将信交与玉鬘。写本「歌仙三十六句」文化七年写 江戸時代和本(写本)絵入狂句集。玉鬘看了信就哭。養素斎印譜 解説付き 合計4冊 長尾甲署 竜野満黄編 景年文庫 昭和5年発行 全3冊 古本 サイズ約31.8x18.8cm 解説 1冊。
真心感到:相越久,想起了源氏太政大臣的模越是得可恋。H22-027 古事類苑 兵事部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。。
只因不是生身父,未便公然地:“,我念,很想!”
但心中正在考如何可以和他会面,不惆。日本橋北神田浜町絵図。
源氏曾屡次玉鬘起不良之心,使玉鬘感到不快,
但不曾把此事告右近,
只在自己心中。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 長次公 延享 古文書。然而右近早已略知。まくり 小杉放菴。
只是人系究竟如何,右近至今是莫名其妙。福沢諭吉全集 全22冊 福沢諭吉 慶応義塾編。
写回信,玉鬘道:“我写信,多情!
但不,又成失礼。雪中之花。”便写道:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。東条琴台編『聖世紹胤録』(全2冊揃)明治3年 青松軒刊 明治時代和本 歴代天皇系図集 天皇家資料 神道資料。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。明治40年 調整見本 青山染工場 生地 サンプル 消防法被 デザイン 古裂 古書 和本 戦前 アンティーク ②E。冬姫は内大臣・通誠の養女。長谷川伸旧蔵書 西河稱編『維新前後実歴史伝』(全7冊揃)明治25年 牧野善兵衛刊 明治時代和本(和装活字本)。
冬姫は通称。陸軍 士官必携 5冊10巻 著:英国マクドウガル 閲:柳河春三 譯:渡部一郎 慶應3年 山城屋佐兵衛★ko2.41。正式な名は伊達貞子。写本「雲洞詩鈔」江戸時代和本 漢詩集 薄葉紙本一冊。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。伊勢参宮道中記一括。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。●極上和本YM4894●江戸明治和本等>小野篁歌字尽大全(横本・寛政以前刊)稀書往来物。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―34A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。●極上和本YM4851●江戸明治和本等>新編松嶋往来 松島往来文章(天保4年・仙台板)稀書往来物。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。超美品◎本◎浅草弾左衛門 関東穢多頭と江戸文化◎同和文献保存会◎江戸社会と弾左衛門の世界。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。美女愛猫之図。白楽天の有名な漢詩です。◆古書◆和本 真理活用鏡 完 佐藤 安五郎 著 明治27年初版。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。新吉原大門之図。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。m22◆安政三年 御家老高木新兵衛殿 御巡見御用蒙仰当御領分江,,,◆下野国足利郡 古文書◆江戸時代 宿場 人足 栃木県@和本/古書/写本。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。ホスポルノ法他。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。★0449江戸期和裁型紙「徳用仕立ぱつちもも引立縫之法」1点/古書古文書/木版摺り。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。数萬乃可移佐之 くずし字書道 江戸時代 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国王羲之漢籍漢詩NF。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。東京勧業博覧会之図 壱号館正門之図。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。吉野山名所記。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。永福老人(面山瑞方)説 慧観録『永平開山典座教訓門解 全』明和6年版 出雲寺文次郎刊 明治時代和本 曹洞宗 永平寺資料 仏教書 仏書 禅宗。撮影後、展示のために再表装をしております。新撰大工雛形 五巻合本。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。マルクス・エンゲルス全集 53冊 マルクスエンゲルス。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。日光東照宮眠猫。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。完品 山宮允編 エドガー・アラン・ポー原著 日夏耿之介訳『大鴉』昭和11年 訪書書局刊。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。☆長春閣蔵品展観図録 大型本 川崎男爵蔵品 中国美術56点 牧谿/因陀羅/卒翁/徽宗皇帝/白良玉/馬麟/舜挙/顔輝/日本書画 昭和13年A1673-2。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。猪熊浅麿著・古谷紅麟画『旧儀装飾十六式図譜』(全2冊揃)明治36年 京都美術協会刊 彩色木版画譜 公家の調度品を誂えた16席を描く。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。●極上和本YM4864●江戸明治和本等>上州草津温泉往来 十返舎一九 原装本 稀書往来物。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。f240502007〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都墨田堤 東京都墨田区向島 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。南山遺響 南谷上人 享保19 書道 江戸時代 仏教仏書検)拓本楷書臨書行書草法書書書画法帖折帖法書御経折帖写本習字小野道風王羲之漢籍漢詩NF。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。☆3437和本明治15年(1882)儒学儒教「五経(易経/書経/詩経/礼記/春秋)」11冊揃い/古書古文書/木版摺り。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。レCL1366サ●「浄土血脈論」 上下 合本 沙門袋中集 承応3年 仏教/江戸期/和本/古書。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。錦繍段 天隠竜沢 貞享4年 漢詩集漢学詩学唐詩漢文 臨済宗 江戸時代 検)禅宗仏教儒教 古書和書古文書古本PK。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。教訓画 源為朝の図。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。★0341和本江戸宝永6年(1709)戦国時代の歴史「本朝三国志」32冊一括/織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/古書古文書/木版摺り。母は後水尾天皇皇女女二宮。在中之者着類御法度之儀。実母は近衛家女房(瑤林院)。HH-6822 ■送料込■ 易経集註 11冊揃え 享保9年 江戸時代 儒教 儒学 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。幼名は多治丸。たのしい学級経営12カ月〈4〉中学校 (1980年) あゆみ出版 ※イタミ有。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。初學文林宝鑑 節用集往来物寺子屋手習書習字 江戸期教科書 国学 検)尋常小学校 享保の改革徳川吉宗 古書和書古文書古本PK。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。●極上和本YM4963●江戸明治和本等>雑兵物語(2巻揃い)松平信興作か 兵法。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。相撲取組四十八手一覧。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。江戸城西の丸火災に伴う御普請関係文書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。五井金水先生画手本 十二枚 画帳 日本景色 動物花鳥 合集 石雲 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術 経年劣化あり。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。●極上和本YM4853●江戸明治和本等>〈享和新撰〉上州榛名詣(極美本)清水玄叔 稀書往来物。
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