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直径6.4cm 高さ6.5cm
【状態】
良好 蓋の縁に一ヶ所小さなアタリがあります。
画像7枚目です。
【付属品】
共箱 仕服
【商品説明】
高台寺蒔絵の中棗です。
八代中村宗哲の作品。
表千家十四代の即中斎宗匠の書付がございます。
共箱で箱側面に歌が書いてあります。
ぼうふりの動くや枝の戦かな
漆桶彭祖七百の内これを写す
庚孟秋日
棒振りは幕末の時代には警察の事。
八代宗哲は幕末から明治にかけて活躍した工芸家で、幕末の京都の動乱の時代を歌に詠んだものかもしれません。
漆桶彭祖は中村家三代宗哲の事で、名前の由来になった彭祖仙人が七百歳まで生きたという伝説から、70個の棗を制作しました。
本作はそれを八代宗哲が写したものです。
非常に丁寧な仕事で整った蒔絵が美しいです。
八代中村 宗哲
[幼名] 丑之助[名] 忠一[通称] 八郎兵衛[号] 宗哲・至斎・聴雨・蜂老
[生没年] 文政十一年(1828年) ― 明治十七年(1884年) 二月一日
[享 年] 五十七歳