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新品 :3167679812
中古 :3167679812-1 |
メーカー | 04cd8 | 発売日 | 2025-05-14 04:26 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「香煙引到楚香処」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
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閉じる大君と中の君を見る薫の君(源氏物語/国宝)
閉じる琵琶を弾く匂宮と中の君(源氏物語・国宝)
閉じる左は薫の君、右は大君と中の君(総角の絵)
閉じる大君・中の君姉妹と匂宮(網代車・宇治)
自筆「源氏物語」の「総角(あげまき)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「総角の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮のきらびやかな恋物足りが描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。◆錵◆ 李朝時代 鉄絵蓋物 14cm 朝鮮古陶 唐物骨董 [S155]S/23.9廻/OD/(80)。代物 李朝家具 李朝 木箱 六角型 茶器 茶道具 朝鮮 韓国 美術 朝鮮 六角 欅材 木製 古家具 収納 菓子器 アンティーク レトロ 骨董品 珍品。朝鮮褐釉面取り花瓶。古い染付 香炉・灰入れ 0320Q4r運。李朝十角面取小壺 Y290。中国 清代 炉鈞釉 蛙 水滴 時代保証 唐物。杯台■李朝後期 祭器壷 中国古玩 貫入青磁 馬上杯 酒杯台 時代物 骨董■。初荷初荷時代品李朝、三島茶椀。初荷品コレクター放出品 発掘品高麗古銅香炉合わせ箱付。▽鴻▽西晋・古陶磁器・青瓷水盂・時代木箱付き 時代物 中国古美術 骨董品。即決 徳利 高さ12.4cm。花瓶■李朝白磁貫入面取瓶 金継ぎ直し 花器 古玩 唐物 中国 古美術 時代物 骨董品■。台湾 古美術 骨董 草花文 82 コレクター放出品 蔵出し。清代 青磁 香炉 銀縁 共箱。李朝 香炉 瑠璃釉 瑠璃香炉 仏教美術 アンティーク香炉 蔵出し 1客。◎【真作保証】 李方子 高麗焼 茶碗 楽善齋 李王家 高麗焼 日本の皇族 コレクター放出品 茶道具 韓国 朝鮮 ⑬。【送料無料】李朝小壺 江戸期 染付 朝鮮 韓国 茶道具 呉須 水指 焼物 入手困難 骨董 コレクション文化財 茶道家旧蔵(旧家蔵出し) WWTT119。染付 古玩 李朝 茶碗 中国 古安南。大雅堂721 時代 古玩 李朝期白磁茶碗 仕覆 桐箱 本物保証 お抹茶道具茶席道具 越前蔵うぶ出し。D063 李朝 青磁 茶碗 径18.5センチ 高麗 朝鮮 韓国 蔵出 古玩 珍蔵。。匂宮は、中の君を京の二条院に引き取る決意をする。
原本自筆上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節である。この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている。前漢の武帝王が美しい李夫人の死をいたみ「反魂香」を九華帳(漢王の寝室にかける,幾重もの花模様のついた,美しいとばり)の中で香を焚くと、美しい夫人の魂が煙に導かれ魂を呼び返してその姿を煙の中に夫人の姿が現われる。紫式部が「若紫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解したうえで、「総角」の中の「大君が父君の八の宮を呼ぶべき煙がほしい」という意味から総角の原文の中で、「人の煙にありけむ香の煙そ、いと得まほしくおほさるる」と書いていることから紫式部が「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の「反魂香(はんごんこう)」の漢詩に共鳴していることがよくわかる。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
「総角」の巻は英文で「Trefoil Knots」と表記されます。
《自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。
この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の一節です。
この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている「白氏文集」の中の有名一節です。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。◆錵◆ 李朝時代 青磁製 小皿 3点纏めて 金継ぎ直し 朝鮮古陶 唐物骨董 [P28.1]QQ3/23.8廻/IT/(80)。李朝 染付草花文壺 青花 古美術。李朝 白磁 古染付 染付 茶道具 平茶碗 古玩 アンティーク李朝 蔵出し 1客。李朝 辰砂 葡萄紋 壺 箱付き 高さ約31cm。李朝 時代 白磁 台鉢 検 茶道具 煎茶道具 中国 古玩 民藝 高麗 新羅 清朝 書道具。【金閣】李朝 高麗 白磁 瓢形 八方 瓶 旧家蔵出(FB27)。花瓶■李朝 時代物 唐木花台付き 古い花器 花生け 古玩 唐物 中国 古美術 時代物 骨董品■。A 李朝染付壺 李朝時代 磁器 焼き物。c 李朝白磁皿① 李朝時代 遺跡発掘品 朝鮮半島 陶器 釉薬。寺院引き取り 高麗 青磁 茶碗 李朝 金継 口径16.5 高さ8 本歌。茶碗■三島茶碗 時代物 夏茶碗 仕覆付き(江戸期)古いお茶道具 古美術 骨董品 お茶の先生所蔵品■。◆羽彰・古美術◆A6912朝鮮 李朝時代 李朝藍辺白磁罐 朝鮮古陶磁器。初荷品蔵出し品 珍品李朝 仏教 瓦 古時代箱付。李朝 高麗 染付 花瓶 茶道具 宋代。大珍品 中国 宋代 建窯 茶碗 兎毫 油滴 柿釉 天目茶碗 唐物 禾目天目。(粋)李朝 真鍮 雲龍紋 刻 三つ足・急須台。刷毛目小服茶碗 三島時代。中国 清代 粉彩 勺 人物 母子 時代保証 唐物。。
どちらの方角からか遠くのほうで鶏の鳴き声も聞えてくるので、京のことが思い出される。
(薫の君)「山里の風情(ふぜい)を感じさせるとりどりの声を聞くにつけても、
さまざまの思いに胸のつまるような夜明けです」
女君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)は、
(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)「鳥の声も聞えない静かな山奥と思っておりましたのに、
この世の中のつらいことだけはここまで追いかけてきて、私に物思いをさせるのでした」
中納言(薫の君)は、女君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)を襖の所までお送り申しあげて、
昨晩入った戸口から出てきて横におなりになるけれど、とてもお眠りにはなれ・・・・《ない。◆錵◆ 李朝時代 白磁製 染付壷 13cm 朝鮮古陶 唐物骨董 [Y296]PQ/23.7廻/OD/(120)。李朝 青磁 粉彩 煎茶碗 華の図 アンティーク李朝 蔵出し 茶道具 2客。【政】32542 李朝染付壷 壺 朝鮮 骨董 古物。李朝 古染付 染付 小壺 花入 アンティーク李朝 蔵出し 1客。。薰君答道:“,
真痛苦!破的!我真是‘从来不作凌晨,
出彷徨路途迷’了!”息。此听到某之声,
使他想起京中之事,便吟曰:“荒山唱声声苦,百感交心霞。◆錵◆2 李朝時代 白磁製 草花文染付壷 11.5cm 提灯壷 朝鮮古陶 唐物骨董 [S180.3]UR3/23.9廻/OD/(80)。送料無料★saa05【茶道具★茶碗】鉄釉★沓形茶碗★無地の桐箱入★黒織部沓茶碗?。貴重 李朝 井戸釉 徳利 三夜荘蔵品(本願寺派門主旧別荘) 三夜荘:浄土真宗本願寺派門主の旧別荘。【真作保証】 池順鐸 自作 白象嵌花三島水指 人間文化財 (柳海剛 安東五) 茶道具 朝鮮 韓国 ⑯。。大女公子回到房中,心甚:
不知侍女等昨夜之事如何猜想。不能立刻就寝,反思:
“没有父母,人在世真苦。身的人会干事,
花出不,从中作弄布。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真2枚が「源氏物語」総角の巻の末尾(原本番号88-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「総角の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(総角の巻)MRI 47―13B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「総角の巻」主人公・総角の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君姉妹。
左側が琵琶と筝を奏でる大君・中の君姉妹、右が姉妹を覗き込む薫の君
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「総角」原本に記されております。紫式部が「総角」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「総角の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「総角の巻」に用いられていることで広くしられている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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