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【大放出セール】 巻五十二 - 宇治十帖|宇治観光案内|京都宇治 -|源氏物語 蜻蛉 和書

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メーカー 785a2a2927ba 発売日 2025-05-04 23:35 定価 25000円
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【大放出セール】 巻五十二 - 宇治十帖|宇治観光案内|京都宇治 -|源氏物語 蜻蛉 和書

巻五十二 - 蜻蛉 -|源氏物語 宇治十帖|宇治観光案内|京都宇治。源氏物語」夢浮橋の巻 僧都、浮舟 桐壺天皇の皇子 八の宮の姫君。源氏物語 第42帖 匂宮(薫る中将、匂う宮) 源氏物語を知ると。鹿児島県産コシヒカリ 5kg。 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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春帰留不得紫藤花下着漸黄昏の漢文

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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匂宮・住吉如慶・自筆

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国宝・今上帝と薫の君の囲碁

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国宝の拡大(左上・今上帝、右下・薫の君)

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左・薫の君、右・大君と中の君

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左・匂宮(今上帝の皇子)

令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。源氏物語の世界~匂宮② | この季節この1枚。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「匂宮(におうのみや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。●極上和本YM4879●江戸明治和本等>〈東都橋坂〉名寄往来[橋名寄往来]鼻山人 稀書往来物。

原文は「源氏物語・匂宮の巻」として美しく描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。江戸鑑(武鑑) 寛文〜延寶頃刋。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。f24121605〇写本 催馬楽譜入文 上中下巻 合本1冊 橘守部 宮廷歌謡のひとつ 天保12年〇和本古書古文書。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。色紙 俵萌子。現在の今上天皇と系譜がつながっている。細見 美濃国大絵図 山城屋佐兵衛等版。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。聖地淡路島 淡路鉄道 昭和14 兵庫県淡路市 検)戦前旅行案内鳥瞰図地図鉄道路線図電鉄汽車蒸気機関車SL路面電車汽船航路商船船舶遊覧PK2。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM4882●江戸明治和本等>江戸方位 木村篆楷 嘉永4年 現存唯一 稀書往来物。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。m163◆天下茶屋敵討真伝記 全5冊揃◆写本◆江戸 明和9年序 期 実録 林玄蕃 仇討 日本史 歴史@和本/古文書/古書。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。三遊亭円朝演述 落合芳幾・歌川国久・歌川国峰画『円朝叢談 塩原多助一代記』(二冊)明治時代和本(和装活字本)三遊亭圓朝 落語 人情噺。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。伊勢素封家駒田家文書 写本「百ケ條」嘉永六年 米村鐵次郎筆(駒田義之進宛) 江戸時代和本(写本)武道伝書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。めんこ一括。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。正風遠州流 挿花衣香 生花本 茶道 江戸期 検索⇒茶道 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。f24051048〇一枚刷物 摺物 木版画 歌舞伎 続狂言 仮名手本忠臣蔵十一段 中橋南 寛永期(1624~1644)? 江戸歌舞伎発祥の地〇和本古書古文書。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。●極上和本YM4968●江戸明治和本等>〈天満宮御一代記〉絵本菅原実記 菅公一代記 巨勢秀信 読本 ゆうパック。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。讃岐史要 完 黒木安雄 明治32 香川県歴史 検)さぬき市生駒親正十河一存平賀源内香川之景日本史四国歴史 戦前明治大正古書和書古文書古本NF。また、各巻ごとの書かれた年については不明。三山総絵図。従って、応永五年とは、書き始めの年である。料治真弓著 料治朝鳴(料治熊太)序 板祐生跋『私の一日 昭和十年なつ』昭和10年 板愈良刊 料治眞弓 武井武雄。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。●極上和本YM4874●江戸明治和本等>新編王子詣 初版本 朝輝斎千春 稀書往来物。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【洛座】古本 煎茶道具 煎茶会記 円山勝会図録 上下餘全三冊 帙入 熊谷久兵衛編輯 明治 熊谷酔香翁 鳩居堂 山本竹雲。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。●極上和本YM4850●江戸明治和本等>〈頭書絵入〉国尽倭文章 天明板 村田屋板 現存唯一 稀書往来物。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。忍術の極意/伊藤銀月・伊藤銀二/大正6年/忍術の形態的方面について秘奥の部に属する五遁の術・忍術の形態的方面における無色無臭無声の極意。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。若武者初陣奮戦双六。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。引札 猩々。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。最新調査戦局要地精密図。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。陸奥会津藩領田川村古文書●元禄17年写 天和3年(1683)田川村御検地水帳 80丁 魚沼郡田川村 現在の新潟県魚沼市 231117。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。ポスター 和装美人。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。山口県史略/近藤清石 著 6巻揃い 山口県山口町購入品(現:山口市)周防国、長門国 明治16年。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。感情装飾 金星堂 川端康成。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。上田亮章識 下曽根金三郎閲『鈐林必携』嘉永5年 下曽根氏蔵梓 江戸時代和本 西洋砲術書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。★Z55和本江戸期実録写本「武蔵野千秋草花」5冊/古書古文書/手書き。


 出品した「源氏物語」は匂宮(におうのみや)の内容の要旨
「匂宮の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。「越智宣哲関連書 9冊一括」正気書院他刊 越智橘園の長男で藤沢南岳に学んだ漢学者 奈良県奈良市郷土史料。第42帖。中納言行平郷須磨之浦ニテ汐汲ヲ見給躰。光源氏なき後の子孫とその縁者の後日談を書く。★服部半蔵所伝 忍秘伝 和装本 沖森書店 忍術 忍法 忍者 伊賀 甲賀 どうする家康 天正伊賀の乱 秘伝 入手困難 絶版。巻名は本文の「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて」に因む。●極上和本YM4967●江戸明治和本等>都林泉名勝図会(寛政11年)秋里籬島 概ね美本 地誌 ゆうパック。本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」で、「匂宮」は略称。◇希少 開業医宅保管品【和本 古文書 医療系 辞書(単語篇)世話十字文 東京大學醫学部 等】資料・コレクションに。P01052。匂宮は元服して兵部卿となり、紫の上の二条院を里邸としている。古文書 和書 長山正春 「師友紀譚」 藤田幽谷 豊田天功 会沢正志斎ほか 石河明善 息子 弘道館 助教 水戸藩 偉人 (レターパックライト発送)。夕霧は匂宮を婿にと望みもするが、自由な恋愛を好む当人にはその気がない。千首宋人絶句 2冊全 上海涵芬楼 線装本 唐本漢籍 古籍善本 民国期 漢詩 検索⇒支那 彫版 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙 白棉紙 清朝。その夕霧は、落葉の宮を六条院の冬の町に迎え、三条殿に住まう雲居の雁のもとと一日交代に月に十五日ずつ律儀に通っている。●極上和本YM4875●江戸明治和本等>堀之内詣 堀の内詣 堀内詣 初版本 稀書往来物。六条院は、今は明石の中宮の子たちの大半が住んでいる。川北温山『温山文 巻下』明治14年 深澤良助刊 漢詩文集 肥前島原藩藩士 明治時代和本。夏の町に住んでいた花散里は二条院の東の院へ、女三宮は三条宮へそれぞれ移っている。東京勧業博覧会場総全景紀念。一方薫は、冷泉院と秋好中宮に殊更に可愛がられ育てられ、元服後は官位の昇進もめざましい。浅草観音山内之景。しかし、漠然ながら自分の出生に疑念を感じていた薫は、人生を味気なく思い、悶々と出家の志を抱え過ごしていた。w234◆新田大光院 開山呑龍上人伝 完◆明治11年 絵入り 仏教 群馬県@和本/古文書/古書。不思議なことに、薫の体には生まれつき仏の身にあるといわれる芳香が備わっていた。●極上和本YM4868●江戸明治和本等>武蔵府中〉六社詣[府中六所詣]滕耕徳 稀書往来物。匂宮は対抗心から薫物(たきもの)に心を砕き、このため二人は世間から「匂ふ兵部卿、薫る中将」と呼ばれる。●極上和本YM4867●江戸明治和本等>〈童男児女手本〉鎌倉一覧文章[鎌倉詣]蓮池堂 稀書往来物。薫20歳の正月、夕霧は六条院で賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)を催した。朝岡興禎著 太田謹増訂『増訂古画備考』(全4冊揃)明治45年 吉川弘文館刊 日本美術史 日本絵画史 画人伝 印譜・落款多数掲載。匂宮はもちろん、薫も出席し、華やかな宴となる。短冊ー29 酒井抱一 しほ檐桶は沖の霞や汲行く。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、原本自筆上部に匂宮(におうのみや)」には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という漢文の篆書印が押捺されている。中国 陶瓷器 328図 原色版 2冊全 検索⇒支那 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 釉裏紅 唐三彩 斗彩 天目碗 兎豪 五彩 粉彩 明朝成化 明朝嘉靖。言葉の意味は、「帰りゆく春を留めることはできない。えぞがしま 川上澄生。紫の藤の花のもと、次第に深まるたそがれ」である。大沼枕山序『月花集』明治2年序刊 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌。「匂宮」の巻の原文には「春の花の盛りには、けに長からぬにしも、おほえまさるものとならん」と記されております。和漢三才圖會 百工具 容飾具 服玩具 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 武器 兵器 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。解読すると「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされるというものである」となる。★H533和本江戸安永3年(1774)江戸城の職務記録「御本丸廻状留」1冊/古書古文書/手書き。源氏の君をとりまく人々、特に六条院の紫の上の面影をおりにつけ思いだしている。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。特に源氏の君と女三の宮の子・薫の君は紫の上の面影をいつも心の底に刻みこまれている。花のこだま 俳諧 楚岳編。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。特に紫の藤の花を篆書の中に入れているのは、白楽天の詩文をよく読みこんでいることがわかる。『喫茶養生記』限定880部 昭和54年 かまくら春秋社刊 承元五年栄西筆「喫茶養生記」(寿福寺所蔵・重要文化財)複製版。紫式部が「匂宮」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。●A/和本 和読要領 上中下 江都書肆 須原屋新兵衛 享保13年 江戸 和本。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。古文書 「水戸裁許」 安政の大獄 徳川斉昭 水戸藩士 処分 書き上げ 歴史資料 江戸時代(レターパックライト発送)。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
「匂宮」の巻は英文で「His Perfumed Highness」と表記されます。相撲桟敷割図。
《自筆上部の「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。岳陽楼記 巻菱湖 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩巻菱湖NF。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。全集 日本の歴史 全17冊 松本武彦他。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。女学生徒之図。》

「額縁入自筆原本」
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。)

「自筆原本」
自筆右下2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。一礼之事。

自筆上部の「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。藤詩選和解都々一 初・二・三編 3冊 歌謡 和本 古文書。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。いせ大和まはり名所絵図道のり。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。近代医療の夜明け!/[碩田醫報第三號・佐野〇逹・明治14年(1881)]/碩田醫報社/大分県の医療史。


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。仮面 復刻版 (聖盃改題) 全29冊 閑川左木夫他監/日夏耿之介他。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。●極上和本YM4883●江戸明治和本等>塩竈詣文章[塩がま詣]仙台板 稀書往来物。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。信濃高遠藩領高遠城下中林家古文書●江戸末期 中林家先祖書と家系図法名 6点 伊那郡高遠城下 現在の長野県伊那市 240328。


《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏》という篆書印が押捺されている。肉筆扇面 浮田一惠。言葉の意味は「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。★B58和本江戸天保15年(1844)漢詩文「大橋先生書」1冊/大橋長左衛門/古書古文書/手書き/龍渓書屋蔵。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。校正地方凡例録。》

《こと(事)にふ(触)れ》・・・・ても、人のありさま(有様)を
聞き見奉るに、けにいとなへてならす、心にくゝゆえしき
御もてなしかき(限)りなきを、おな(同)しくは、けに
かやうならむ人をみ(見)んにこそ、い(生)けるかき(限)りの
心ゆくへきつまなれ、と思ひなから、大かたこそへた(隔)つる
事なくおほ(思)したれ、姫宮の御かた(方)さまのへた(隔)ては、
こよなくけ(気)とお(遠)くな(慣)らはさせたま(給)ふも、
ことわりにわつらはしけれは、あなかちにもまし(交)らひ
よ(寄)らす、もし心より外の心もつかは、我も人もいとあしかるへき
こと(事)、ゝ思ひし(知)りて、ものなれよ(寄)ることもなかりけり。和本 写本 大工雛形 江戸時代 肉筆 絵図 伝統建築 宮大工 仏閣 社 98丁 古文書 古典籍。
わ(我)かかく人にめ(愛)てられんと、・・・・・《なり給へる》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。写本「滄海拾珠」明治初期写 明治時代和本 明治初期の社会学などに関する写本。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。●極上和本YM4962●江戸明治和本等>〈教訓〉福寿経綸録(安永9年) 稀書 上巻やや破損。


《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》

《薫の君の御元服・右近中将に昇進》
《冷泉帝と秋好中宮・薫の君を大切にし急ぎ昇進させる》
《十九歳の薫の君・実父を柏木と知り悲哀と鑑賞にひたる》
《匂う中将(今上帝の皇子・匂宮、薫る中将と並び称される》
《十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる》

《中将(薫の君)は、三の宮(今上天皇の皇子・匂宮)が
年のたつにつれていよいよご執心でいらっしゃるらしい冷泉院の
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御あたりを見るにつけても、
同じ院の内で明け暮れお出入りしていらっしゃる
ので、》・・・・何かの折に、そのご様子をお聞きしたり拝見したりすると、
(薫の君)「噂どおりほんとに並み一とおりでなく奥ゆかしく、
よくおできになっていらっしゃる御物腰は申しぶんがない。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。
同じことなら、いかにもこのような方と連れ添うのが、
生涯楽しく暮らしてゆくことのできる頼りとなるのだろう」
とは思いながらも、そのほかのたいていのことは分け隔て
あそばすことなくかわいがってくださるものの、
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御方との隔てだけは
常にこのうえもなく遠ざけていらっしゃる、それももっともな
ことだし、またやっかいな気もするので、無理におつきあいを
求めて近づこうともしないでいる。小児福神舞之図。
もし、予想もしなかったような気持が起こってきたなら、
こちらにとってもあちらにとってもまったく不都合な結果になるだろう、
そのことがよくわかっているので、世なれたふうに近づくこともないのであった。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。
中将(薫の君)ご自身が、こうして人に
もてはやされるために・・・・・《生まれてこられたような人柄なので、
ちょっとしたかりそめの言葉をおかけになった女も、
まったく相手にしないというような気持ではいられなくて
すぐさまなびいてくるというふうだから、しぜんに、
その時々の通り一遍の通い所も数多くなる。●極上和本YM4865●江戸明治和本等>〈新版再刻〉江之島詣文章(江嶋詣)滕耕徳 稀書往来物。》

備考・「源氏の君」は、准太上天皇であったため、薫の君は、源氏の君の子として皇子(みこ)と同じ扱いになる。かわらばん 黒船来航(仮題)。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。羽州庄内田川郡湯温海村絵図。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。


《His Perfumed Highness(匂宮)》
All of it suggested that she was a very unusual lady,
indeed a lady in whom, were he interested in marriage himself,
he might find the most fascinating possibilities.
In all else completely open and unreserved,
the Reizei emperor chose to surround his daughter
with stern barriers.
Kaoru thought this not at all unreasonable of him,
and made no effort to force his way through.
He was a very prudent young man who did not choose
to risk unpleasantness for himself or for a lady.
Because he was so universally admired,
ladies were not on the whole disposed to ignore his notes.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。●極上和本YM4916●江戸明治和本等>〈名方家蔵〉婦人療治手箱底 乃底 小幡玄春 原装美本。


《匂皇子(匂宮)》
他想:“欲娶妻,但得如此一人做伴,可以身无憾了。教育歴史双六。”
冷泉院薰中将,在一般事情上,他毫无隔。★0372和本江戸文政10年(1827)写本「逸史」12冊揃い/中井竹山/江戸羽沢山房/松崎慊堂の塾/丹羽悳與/木村儀卿/古書古文書/手書き。
惟有大公主的居,防范非常。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。原是理之当然。解剖訓蒙 全8冊 約琴・列第(レイデー)原著松村矩明他訳。
薰中将深恐惹事,并不求近。大野麦風版画 秋(仮題)。他想:
“万一生了意外之事,己人都很不利。東海道鉄道真景。”
因此并不去近。威海衛進撃之図。只是他生来相貌人喜,
所以他一个女子只要略有几句言,


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「匂宮の巻」原本の末尾(原本番号15-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
左の写真が「源氏物語」匂宮の巻の末尾(原本番号15-A)の押印。●極上和本YM4927●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋付 本多月楽 延享3年。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。芝居刷物 梅柳櫻かが染。冬姫は内大臣・通誠の養女。勧進相撲勝敗表。
冬姫は通称。●極上和本YM4887●江戸明治和本等>上州妙義詣 寛政板 高井蘭山 初版本 稀書往来物。正式な名は伊達貞子。六諭衍義大意 享保7 初版本 室鳩巣 道徳書寺子屋手習本 享保の改革 徳川吉宗 洪武帝 検) 国学戦前明治大正古書和書古文書古本PK。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。共産主義用語辞典。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。『(覆製版)韻偶大成 上・下巻・姓氏録(全3冊)』 【著者】上村才六、石川忠久(編)【発行所】松雲堂書店。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。治生草。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。2097良如 花押 仏教 ■御文章■御文■ 浄土真宗本願寺派第13世宗主 准如の子 江戸初期前期時代物 版本 大本 和本古書古文書和書骨董古美術。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。●極上和本YM4928●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋欠 本多月楽 延享3年。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。珍品 巻物 徳川家康 本多忠勝 明石明五郎 慶長十六年 山法書 諸国金銀山定法山例 古文書。筆者は近衛関白政家公。新聞「日本心霊」昭和六年十一月廿日 第四百八十九号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-5】。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。★0351和本江戸宝永5年(1708)植物擬人化浮世草子「草木軍談賤爪木」4冊/絵入古書古文書/木版摺り。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。●極上和本YM4924●江戸明治和本等>なまづくにぶるひ 鯰部類大全 木訥野夫編 災異。左の写真は、桐壺の巻の奥付。中支戦局詳解地図。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。榊亮三郎 自筆書簡6通+葉書25通(真筆保証品)田中秀央宛 昭和8-16年消印 サンスクリット学者と西洋古典学者の交流。上下2段の花押のうち、上の印は。医方類聚 校点本 全11冊 中文 浙江省中医研究所他校。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(匂宮の巻)MRI 42―11B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料

下記写真は、囲碁をする今上帝(今上天皇)と薫の君。B15739 家系永代記録 白紙:真作。右端の上が今上帝(今上天皇)、右下が薫の君。新亀斉著 原田義方編『新亀斉淘歌集 初編』明治19年序刊 明治時代和本 横山丸三 淘宮術 淘宮家。左は天皇お付の女房たち

上記絵巻は、囲碁を楽しむ今上天皇と薫の君。★0550和本江戸寛永8年(1631)東洋医学「済民記」全1冊/杉田良庵玄与版/古書古文書/木版摺り。




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」



1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津 書状 古文書。



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。美濃国村高帳(21郡) 江戸中期頃写。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。東京勧業博覧会全図。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。切支丹宗門禁止等につき起請文。

漢詩文《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。完品 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『ちりめん本 日本昔噺』(全5冊揃)明治31-大正15年 長谷川武次郎刊 チリメン本 縮緬本。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。常盤雪中之図。紫式部が「匂宮」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「匂宮の巻」を書いていることがわかります。sw0412 刊年不明 ◆和本◆ 「女文章都文箱」 製本及び発行:辻本。この原詩の言葉の引用は、「匂宮の巻」に用いられていることで広く知られている。●極上和本YM4881●江戸明治和本等>和歌浦名所文章 和歌名所記 文政板 稀書往来物。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。写本「歌仙三十六句」文化七年写 江戸時代和本(写本)絵入狂句集。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。養素斎印譜 解説付き 合計4冊 長尾甲署 竜野満黄編 景年文庫 昭和5年発行 全3冊 古本 サイズ約31.8x18.8cm 解説 1冊。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。H22-027 古事類苑 兵事部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。日本橋北神田浜町絵図。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 長次公 延享 古文書。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。まくり 小杉放菴。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。福沢諭吉全集 全22冊 福沢諭吉 慶応義塾編。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。雪中之花。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。東条琴台編『聖世紹胤録』(全2冊揃)明治3年 青松軒刊 明治時代和本 歴代天皇系図集 天皇家資料 神道資料。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。明治40年 調整見本 青山染工場 生地 サンプル 消防法被 デザイン 古裂 古書 和本 戦前 アンティーク ②E。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。長谷川伸旧蔵書 西河稱編『維新前後実歴史伝』(全7冊揃)明治25年 牧野善兵衛刊 明治時代和本(和装活字本)。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。陸軍 士官必携 5冊10巻 著:英国マクドウガル 閲:柳河春三 譯:渡部一郎 慶應3年 山城屋佐兵衛★ko2.41。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。写本「雲洞詩鈔」江戸時代和本 漢詩集 薄葉紙本一冊。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。清朝 明徳堂 木版刻本 検索⇒支那 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 紅印本 套印 武英殿 聚珍版 宣紙 木刻本 絵本 綉像 印譜。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。古文書 異国船来航 チョボクレ。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。●極上和本YM4929●江戸明治和本等>〈改正〉名所小鏡 貞享2年 野田藤八板 俳諧 小虫補修本。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。伊勢参宮道中記一括。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。●極上和本YM4894●江戸明治和本等>小野篁歌字尽大全(横本・寛政以前刊)稀書往来物。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。羽柴秀吉大徳寺焼香之図。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。国訳漢文大成 全20巻揃 大正14年 第4版 サイズ 約16cmX22,5cm 菊判 天金。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。伊藤東涯『秉燭譚』(全五巻五冊揃)宝暦13年 古義堂蔵版・文泉堂刊 江戸時代和本。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。★0377和本江戸期中国医学書和刻本「小児直訣」上中下3冊揃い/銭仲陽/熊本藩医の佐藤見民の蔵書/古書古文書/木版摺り。撮影後、展示のために再表装をしております。●極上和本YM4914●江戸明治和本等>〈今世〉百々人集[〈俳諧〉百々人集]八巣謝徳。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。瀬川如皐作『百猫伝手綱染分 本律調艶糸』文久4年 片ばみ屋米次郎刊 歌舞伎 中村座公演絵本番付 江戸時代和本 芝居番付 辻番付 化け猫図入。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。医統正脈全書 全16冊 中文 明・王肯堂編。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。●極上和本YM4923●江戸明治和本等>本朝地震記 豊時成(菊丸)編 災異 原装本。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。●極上和本YM4851●江戸明治和本等>新編松嶋往来 松島往来文章(天保4年・仙台板)稀書往来物。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津城主 小笠原長次 信州松本城主 小笠原兵部大輔秀政  古文書。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。和漢三才圖會 武器 兵器 刑罰 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 刀剣 刀術 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。額縁は新品です。高野長英全集 全6冊 高野長英全集刊行会編。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。☆E0158和本江戸嘉永5年(1852)「文章早引」全1冊/大蔵永常/古書古文書/木版摺り/鳥の子紙。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。菓木栽培法 藤井徹著 明治8年 前期 全4冊 園芸 和本 古文書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。泰山金剛経 五福大来 二幅で。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。大阪新町細見之図 澪標。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。青木宗胡『鉄槌』(三冊=巻一~三)江戸時代和本 徒然草鉄槌 吉田兼好「徒然草」注釈書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。名作歌舞伎全集 全25冊 戸坂康二他監修。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。w∞10 江戸期 万葉集略解 全30冊揃 橘千蔭 永樂屋東四郎 和歌 古典 萬葉集 木版 和本 / B01。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。☆E0196和本江戸天保8~10年茶書茶道「茶式花月集」4冊揃い/絵入古書古文書/木版摺り。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。荷風全集 全30冊 新版 永井荷風。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。☆E0353和本江戸宝暦9年(1759)大坂の陣写本「難波戦記要覧」上中下合1冊揃い/古書古文書/手書き。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。●極上和本YM4926●江戸明治和本等>〈狂歌〉富士百景画譜 真入亭富士江作 聚栄堂主人編。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。岡本椿処『三冝山荘印譜』限定300部 昭和54年落合藤市刊 落款篆刻印譜集 河井セン廬に学んだ篆刻家。母は後水尾天皇皇女女二宮。Ba-375/心中好に本の日 近松心中もの/L8/61220。実母は近衛家女房(瑤林院)。写本 貝原益軒「筑前続風土記 博多 四」江戸時代写 印記「山内所蔵」江戸時代和本(写本)地誌 九州・大分県郷土史料 筑前国続風土記。幼名は多治丸。子だから双六。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。超美品◎本◎浅草弾左衛門 関東穢多頭と江戸文化◎同和文献保存会◎江戸社会と弾左衛門の世界。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。美女愛猫之図。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。◆古書◆和本 真理活用鏡 完 佐藤 安五郎 著  明治27年初版。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。新吉原大門之図。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。m22◆安政三年 御家老高木新兵衛殿 御巡見御用蒙仰当御領分江,,,◆下野国足利郡 古文書◆江戸時代 宿場 人足 栃木県@和本/古書/写本。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。ホスポルノ法他。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。★0449江戸期和裁型紙「徳用仕立ぱつちもも引立縫之法」1点/古書古文書/木版摺り。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。広告 教育玩具四季際物。


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