《New Herbs Part Two(若菜・下)》 "Such numbers of cats as you do seem to have. Where is my own special favorite?" The Chinese cat was apprehended and brought in. He took it in his arms. "Yes, it is a handsome beast," said the crown prince, "but it does not seem terribly friendly. Maybe it is not used to us. Do you really think it so superior to our own cats?" "Cats do not on the whole distinguish among people, though perhaps the more intelligent ones do have the beginnings of a rational faculty. But just look at them all, such swarms of cats and all of them such fine ones. Might I have the loan of it for a few days?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。『校訂 翁草 全21巻揃 (首巻+一巻~二十巻)』 池辺義象 編述神沢貞幹 明治38年 五車楼書店発行 当時物 古書 和本。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。●極上和本YM4879●江戸明治和本等>〈東都橋坂〉名寄往来[橋名寄往来]鼻山人 稀書往来物。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。色紙 俵萌子。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●極上和本YM4882●江戸明治和本等>江戸方位 木村篆楷 嘉永4年 現存唯一 稀書往来物。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。伊勢素封家駒田家文書 写本「百ケ條」嘉永六年 米村鐵次郎筆(駒田義之進宛) 江戸時代和本(写本)武道伝書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。f24051048〇一枚刷物 摺物 木版画 歌舞伎 続狂言 仮名手本忠臣蔵十一段 中橋南 寛永期(1624~1644)? 江戸歌舞伎発祥の地〇和本古書古文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。三山総絵図。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【洛座】古本 煎茶道具 煎茶会記 円山勝会図録 上下餘全三冊 帙入 熊谷久兵衛編輯 明治 熊谷酔香翁 鳩居堂 山本竹雲。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。若武者初陣奮戦双六。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。陸奥会津藩領田川村古文書●元禄17年写 天和3年(1683)田川村御検地水帳 80丁 魚沼郡田川村 現在の新潟県魚沼市 231117。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。感情装飾 金星堂 川端康成。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。「越智宣哲関連書 9冊一括」正気書院他刊 越智橘園の長男で藤沢南岳に学んだ漢学者 奈良県奈良市郷土史料。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。●極上和本YM4967●江戸明治和本等>都林泉名勝図会(寛政11年)秋里籬島 概ね美本 地誌 ゆうパック。P01052。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。●極上和本YM4875●江戸明治和本等>堀之内詣 堀の内詣 堀内詣 初版本 稀書往来物。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。浅草観音山内之景。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。●極上和本YM4867●江戸明治和本等>〈童男児女手本〉鎌倉一覧文章[鎌倉詣]蓮池堂 稀書往来物。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。中国 陶瓷器 328図 原色版 2冊全 検索⇒支那 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 釉裏紅 唐三彩 斗彩 天目碗 兎豪 五彩 粉彩 明朝成化 明朝嘉靖。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。和漢三才圖會 百工具 容飾具 服玩具 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 武器 兵器 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。いと、らうたくおほえて、
かき撫て居たり。花のこだま 俳諧 楚岳編。こゝなる猫とも、ことにをとらすかし」
とのたまえは、
「これは、さるわきまへ心も、をさをさ侍らぬ物なれと。●A/和本 和読要領 上中下 江都書肆 須原屋新兵衛 享保13年 江戸 和本。心のうち(中)に、
あなかちに、おこかましく、・・・・《かつはおほゆ。岳陽楼記 巻菱湖 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩巻菱湖NF。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《柏木・東宮(皇太子)に頼み込んで女三の宮が大切にしている猫を預かる》
《衛門督(柏木)はまだ童(わらわ)であった時分から、朱雀院(すざくいん・前朱雀天皇)が
とりわけお心をかけお召し使いになっておられた。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。
さて、どちらにおりましょうか、私の見知りの人は」
とあたりを捜して、宮(女三の宮)の愛猫であったその猫をお見つけになった。いせ大和まはり名所絵図道のり。
まだ心からなついてくれないのは、人見知りしているのだろうか。●極上和本YM4883●江戸明治和本等>塩竈詣文章[塩がま詣]仙台板 稀書往来物。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。★B58和本江戸天保15年(1844)漢詩文「大橋先生書」1冊/大橋長左衛門/古書古文書/手書き/龍渓書屋蔵。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
"Such numbers of cats as you do seem to have.
Where is my own special favorite?"
The Chinese cat was apprehended and brought in. He took it in his arms.
"Yes, it is a handsome beast," said the crown prince, "but it does not seem terribly friendly.
Maybe it is not used to us. Do you really think it so superior to our own cats?"
"Cats do not on the whole distinguish among people,
though perhaps the more intelligent ones do have the beginnings of a rational faculty.
But just look at them all, such swarms of cats and all of them such fine ones.
Might I have the loan of it for a few days?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
皇太子道:“只猫的很可。小児福神舞之図。
”柏木答道:“猫西,大都不大会辨陌生人和熟人。かわらばん 黒船来航(仮題)。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。●極上和本YM4916●江戸明治和本等>〈名方家蔵〉婦人療治手箱底 乃底 小幡玄春 原装美本。
冬姫は通称。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。東海道鉄道真景。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。芝居刷物 梅柳櫻かが染。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 長次公 延享 古文書。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。雪中之花。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。長谷川伸旧蔵書 西河稱編『維新前後実歴史伝』(全7冊揃)明治25年 牧野善兵衛刊 明治時代和本(和装活字本)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。清朝 明徳堂 木版刻本 検索⇒支那 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 紅印本 套印 武英殿 聚珍版 宣紙 木刻本 絵本 綉像 印譜。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。●極上和本YM4914●江戸明治和本等>〈今世〉百々人集[〈俳諧〉百々人集]八巣謝徳。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。●極上和本YM4923●江戸明治和本等>本朝地震記 豊時成(菊丸)編 災異 原装本。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。和漢三才圖會 武器 兵器 刑罰 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 刀剣 刀術 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。菓木栽培法 藤井徹著 明治8年 前期 全4冊 園芸 和本 古文書。母は後水尾天皇皇女女二宮。青木宗胡『鉄槌』(三冊=巻一~三)江戸時代和本 徒然草鉄槌 吉田兼好「徒然草」注釈書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。☆E0196和本江戸天保8~10年茶書茶道「茶式花月集」4冊揃い/絵入古書古文書/木版摺り。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。●極上和本YM4926●江戸明治和本等>〈狂歌〉富士百景画譜 真入亭富士江作 聚栄堂主人編。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。写本 貝原益軒「筑前続風土記 博多 四」江戸時代写 印記「山内所蔵」江戸時代和本(写本)地誌 九州・大分県郷土史料 筑前国続風土記。かる読み『源氏物語』 【若菜下】 【柏木】 すべてから解放され。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。役氏秀高(釈秀高)集録 『役君形生記』(全2巻2冊揃)元禄6年 中野六右衛門刊 江戸時代和本 仏教書 仏書。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門 富家弓法 古文書。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。皇都一字書高名錬磨鑑。古文書 古書 長久保赤水 長崎行役日記 長崎紀行 挿絵入り 「標注図画 長崎紀行 水戸赤水先生 全」 和本 歴史資料 江戸時代 長崎。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。江戸鑑(武鑑) 寛文〜延寶頃刋。f24121605〇写本 催馬楽譜入文 上中下巻 合本1冊 橘守部 宮廷歌謡のひとつ 天保12年〇和本古書古文書。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。細見 美濃国大絵図 山城屋佐兵衛等版。聖地淡路島 淡路鉄道 昭和14 兵庫県淡路市 検)戦前旅行案内鳥瞰図地図鉄道路線図電鉄汽車蒸気機関車SL路面電車汽船航路商船船舶遊覧PK2。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。m163◆天下茶屋敵討真伝記 全5冊揃◆写本◆江戸 明和9年序 期 実録 林玄蕃 仇討 日本史 歴史@和本/古文書/古書。三遊亭円朝演述 落合芳幾・歌川国久・歌川国峰画『円朝叢談 塩原多助一代記』(二冊)明治時代和本(和装活字本)三遊亭圓朝 落語 人情噺。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。めんこ一括。正風遠州流 挿花衣香 生花本 茶道 江戸期 検索⇒茶道 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。●極上和本YM4968●江戸明治和本等>〈天満宮御一代記〉絵本菅原実記 菅公一代記 巨勢秀信 読本 ゆうパック。讃岐史要 完 黒木安雄 明治32 香川県歴史 検)さぬき市生駒親正十河一存平賀源内香川之景日本史四国歴史 戦前明治大正古書和書古文書古本NF。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。料治真弓著 料治朝鳴(料治熊太)序 板祐生跋『私の一日 昭和十年なつ』昭和10年 板愈良刊 料治眞弓 武井武雄。●極上和本YM4874●江戸明治和本等>新編王子詣 初版本 朝輝斎千春 稀書往来物。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。●極上和本YM4850●江戸明治和本等>〈頭書絵入〉国尽倭文章 天明板 村田屋板 現存唯一 稀書往来物。忍術の極意/伊藤銀月・伊藤銀二/大正6年/忍術の形態的方面について秘奥の部に属する五遁の術・忍術の形態的方面における無色無臭無声の極意。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。引札 猩々。最新調査戦局要地精密図。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。ポスター 和装美人。山口県史略/近藤清石 著 6巻揃い 山口県山口町購入品(現:山口市)周防国、長門国 明治16年。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。上田亮章識 下曽根金三郎閲『鈐林必携』嘉永5年 下曽根氏蔵梓 江戸時代和本 西洋砲術書。★Z55和本江戸期実録写本「武蔵野千秋草花」5冊/古書古文書/手書き。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。中納言行平郷須磨之浦ニテ汐汲ヲ見給躰。★服部半蔵所伝 忍秘伝 和装本 沖森書店 忍術 忍法 忍者 伊賀 甲賀 どうする家康 天正伊賀の乱 秘伝 入手困難 絶版。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。◇希少 開業医宅保管品【和本 古文書 医療系 辞書(単語篇)世話十字文 東京大學醫学部 等】資料・コレクションに。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。古文書 和書 長山正春 「師友紀譚」 藤田幽谷 豊田天功 会沢正志斎ほか 石河明善 息子 弘道館 助教 水戸藩 偉人 (レターパックライト発送)。千首宋人絶句 2冊全 上海涵芬楼 線装本 唐本漢籍 古籍善本 民国期 漢詩 検索⇒支那 彫版 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙 白棉紙 清朝。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。川北温山『温山文 巻下』明治14年 深澤良助刊 漢詩文集 肥前島原藩藩士 明治時代和本。東京勧業博覧会場総全景紀念。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。w234◆新田大光院 開山呑龍上人伝 完◆明治11年 絵入り 仏教 群馬県@和本/古文書/古書。●極上和本YM4868●江戸明治和本等>武蔵府中〉六社詣[府中六所詣]滕耕徳 稀書往来物。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。朝岡興禎著 太田謹増訂『増訂古画備考』(全4冊揃)明治45年 吉川弘文館刊 日本美術史 日本絵画史 画人伝 印譜・落款多数掲載。短冊ー29 酒井抱一 しほ檐桶は沖の霞や汲行く。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。えぞがしま 川上澄生。大沼枕山序『月花集』明治2年序刊 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌。》
《をしへきこえたま(給)ふ》・・・・とて、
「御ねこ(猫)とも、あまた、つと(集)ひ侍(はへり)にけり。
いつら、この、みし人は」
と、たつねて、見つけ給へり。★H533和本江戸安永3年(1774)江戸城の職務記録「御本丸廻状留」1冊/古書古文書/手書き。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。宮も、
「けに、をかしきさましたりけり。心なむ、またなつき難きは、
見馴れぬ人を、知るにやあらむ。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。『喫茶養生記』限定880部 昭和54年 かまくら春秋社刊 承元五年栄西筆「喫茶養生記」(寿福寺所蔵・重要文化財)複製版。
その中にも、心かしこきは、おのつから、たましひ侍らんかし」
なと、きこえて、
「まさるとも、侍ふめるを。これは、しはし、賜はり預からむ」
と、申(もうし)給(たま)ふ。古文書 「水戸裁許」 安政の大獄 徳川斉昭 水戸藩士 処分 書き上げ 歴史資料 江戸時代(レターパックライト発送)。相撲桟敷割図。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
それで、朱雀院(前朱雀天皇)が、ご出家あそばした後も、衛門督(柏木)は
やはりこの東宮(皇太子)にも親しく参上して、お仕え申しているのである。
衛門督(柏木)が東宮(皇太子)にお琴などをお教え申される》・・・・ついでに、
(柏木)「御猫たちが大勢集まっておりますのですね。一礼之事。藤詩選和解都々一 初・二・三編 3冊 歌謡 和本 古文書。
まことにかわいくてならないので、衛門督(柏木)が
宮(女三の宮)の愛猫をかき撫(な)でている。
東宮(皇太子)も、
(皇太子)「なるほどかわいい様子をしているね。近代医療の夜明け!/[碩田醫報第三號・佐野〇逹・明治14年(1881)]/碩田醫報社/大分県の医療史。仮面 復刻版 (聖盃改題) 全29冊 閑川左木夫他監/日夏耿之介他。
わたしのところの猫たちもそう負けはしないな」
と東宮(皇太子)が仰せになるので、
(柏木)「猫というものは、そんな分別はめったにあるものではございませんが、
しかし特に利口なのには、おのずと性根がございますでしょう」
などと衛門督(柏木)が東宮(皇太子)に申しあげたうえ、
(柏木)「もっとよい猫がこちらには幾匹もおりますようですから、
こちらの猫は、しばらくの間お預りいたしましょう」
と宮(女三の宮)の愛猫をお預かりする旨を申しあげなさる。
一方、衛門督(柏木)の心の中では、あまりにも愚かしいことと・・・・・《思わずにはいられない。信濃高遠藩領高遠城下中林家古文書●江戸末期 中林家先祖書と家系図法名 6点 伊那郡高遠城下 現在の長野県伊那市 240328。肉筆扇面 浮田一惠。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《若菜・下》
一天他来,以教琴借口,乘便道:“里猫真多,
我在六条院的是一只?”
他四找,于看到了那只中国猫。他很只猫,便去摸它。●極上和本YM4962●江戸明治和本等>〈教訓〉福寿経綸録(安永9年) 稀書 上巻やや破損。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。大概没有,
所以了没看的人就怕生。我里的猫并不比它坏。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。●極上和本YM4865●江戸明治和本等>〈新版再刻〉江之島詣文章(江嶋詣)滕耕徳 稀書往来物。
不明的猫,当然也很敏。”后来他就要求:“里既然有多好猫,
把只猫借我。羽州庄内田川郡湯温海村絵図。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。教育歴史双六。★0372和本江戸文政10年(1827)写本「逸史」12冊揃い/中井竹山/江戸羽沢山房/松崎慊堂の塾/丹羽悳與/木村儀卿/古書古文書/手書き。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。解剖訓蒙 全8冊 約琴・列第(レイデー)原著松村矩明他訳。大野麦風版画 秋(仮題)。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。威海衛進撃之図。●極上和本YM4927●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋付 本多月楽 延享3年。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。勧進相撲勝敗表。●極上和本YM4887●江戸明治和本等>上州妙義詣 寛政板 高井蘭山 初版本 稀書往来物。
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―4B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。新聞「日本心霊」昭和六年十一月廿日 第四百八十九号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-5】。★0351和本江戸宝永5年(1708)植物擬人化浮世草子「草木軍談賤爪木」4冊/絵入古書古文書/木版摺り。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。中支戦局詳解地図。榊亮三郎 自筆書簡6通+葉書25通(真筆保証品)田中秀央宛 昭和8-16年消印 サンスクリット学者と西洋古典学者の交流。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。B15739 家系永代記録 白紙:真作。新亀斉著 原田義方編『新亀斉淘歌集 初編』明治19年序刊 明治時代和本 横山丸三 淘宮術 淘宮家。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。美濃国村高帳(21郡) 江戸中期頃写。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。切支丹宗門禁止等につき起請文。完品 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『ちりめん本 日本昔噺』(全5冊揃)明治31-大正15年 長谷川武次郎刊 チリメン本 縮緬本。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。sw0412 刊年不明 ◆和本◆ 「女文章都文箱」 製本及び発行:辻本。●極上和本YM4881●江戸明治和本等>和歌浦名所文章 和歌名所記 文政板 稀書往来物。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。養素斎印譜 解説付き 合計4冊 長尾甲署 竜野満黄編 景年文庫 昭和5年発行 全3冊 古本 サイズ約31.8x18.8cm 解説 1冊。H22-027 古事類苑 兵事部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。。日本橋北神田浜町絵図。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。まくり 小杉放菴。福沢諭吉全集 全22冊 福沢諭吉 慶応義塾編。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。瀬川如皐作『百猫伝手綱染分 本律調艶糸』文久4年 片ばみ屋米次郎刊 歌舞伎 中村座公演絵本番付 江戸時代和本 芝居番付 辻番付 化け猫図入。医統正脈全書 全16冊 中文 明・王肯堂編。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。●極上和本YM4851●江戸明治和本等>新編松嶋往来 松島往来文章(天保4年・仙台板)稀書往来物。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津城主 小笠原長次 信州松本城主 小笠原兵部大輔秀政 古文書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。高野長英全集 全6冊 高野長英全集刊行会編。☆E0158和本江戸嘉永5年(1852)「文章早引」全1冊/大蔵永常/古書古文書/木版摺り/鳥の子紙。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。泰山金剛経 五福大来 二幅で。大阪新町細見之図 澪標。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。名作歌舞伎全集 全25冊 戸坂康二他監修。w∞10 江戸期 万葉集略解 全30冊揃 橘千蔭 永樂屋東四郎 和歌 古典 萬葉集 木版 和本 / B01。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。荷風全集 全30冊 新版 永井荷風。☆E0353和本江戸宝暦9年(1759)大坂の陣写本「難波戦記要覧」上中下合1冊揃い/古書古文書/手書き。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定