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新品 :4754115876
中古 :4754115876-1 |
メーカー | cb09376e105cf | 発売日 | 2025-05-12 02:49 | 定価 | 25000円 | ||
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「心寧累自息」漢文・白楽天
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 | |||
漢詩文 | 原文上部には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。東京勧業博覧会全図。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。紫式部が「澪標」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「澪標の巻」を書いていることがわかります。完品 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『ちりめん本 日本昔噺』(全5冊揃)明治31-大正15年 長谷川武次郎刊 チリメン本 縮緬本。この原詩の言葉の引用は、「澪標の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。sw0412 刊年不明 ◆和本◆ 「女文章都文箱」 製本及び発行:辻本。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。写本「歌仙三十六句」文化七年写 江戸時代和本(写本)絵入狂句集。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。H22-027 古事類苑 兵事部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。。日本橋北神田浜町絵図。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 長次公 延享 古文書。まくり 小杉放菴。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。福沢諭吉全集 全22冊 福沢諭吉 慶応義塾編。雪中之花。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。東条琴台編『聖世紹胤録』(全2冊揃)明治3年 青松軒刊 明治時代和本 歴代天皇系図集 天皇家資料 神道資料。明治40年 調整見本 青山染工場 生地 サンプル 消防法被 デザイン 古裂 古書 和本 戦前 アンティーク ②E。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。長谷川伸旧蔵書 西河稱編『維新前後実歴史伝』(全7冊揃)明治25年 牧野善兵衛刊 明治時代和本(和装活字本)。陸軍 士官必携 5冊10巻 著:英国マクドウガル 閲:柳河春三 譯:渡部一郎 慶應3年 山城屋佐兵衛★ko2.41。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。写本「雲洞詩鈔」江戸時代和本 漢詩集 薄葉紙本一冊。清朝 明徳堂 木版刻本 検索⇒支那 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 紅印本 套印 武英殿 聚珍版 宣紙 木刻本 絵本 綉像 印譜。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。古文書 異国船来航 チョボクレ。●極上和本YM4929●江戸明治和本等>〈改正〉名所小鏡 貞享2年 野田藤八板 俳諧 小虫補修本。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。伊勢参宮道中記一括。●極上和本YM4894●江戸明治和本等>小野篁歌字尽大全(横本・寛政以前刊)稀書往来物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。羽柴秀吉大徳寺焼香之図。国訳漢文大成 全20巻揃 大正14年 第4版 サイズ 約16cmX22,5cm 菊判 天金。撮影後、展示のために再表装をしております。伊藤東涯『秉燭譚』(全五巻五冊揃)宝暦13年 古義堂蔵版・文泉堂刊 江戸時代和本。★0377和本江戸期中国医学書和刻本「小児直訣」上中下3冊揃い/銭仲陽/熊本藩医の佐藤見民の蔵書/古書古文書/木版摺り。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。●極上和本YM4914●江戸明治和本等>〈今世〉百々人集[〈俳諧〉百々人集]八巣謝徳。瀬川如皐作『百猫伝手綱染分 本律調艶糸』文久4年 片ばみ屋米次郎刊 歌舞伎 中村座公演絵本番付 江戸時代和本 芝居番付 辻番付 化け猫図入。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。医統正脈全書 全16冊 中文 明・王肯堂編。●極上和本YM4923●江戸明治和本等>本朝地震記 豊時成(菊丸)編 災異 原装本。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。●極上和本YM4851●江戸明治和本等>新編松嶋往来 松島往来文章(天保4年・仙台板)稀書往来物。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津城主 小笠原長次 信州松本城主 小笠原兵部大輔秀政 古文書。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。和漢三才圖會 武器 兵器 刑罰 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 刀剣 刀術 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。高野長英全集 全6冊 高野長英全集刊行会編。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。☆E0158和本江戸嘉永5年(1852)「文章早引」全1冊/大蔵永常/古書古文書/木版摺り/鳥の子紙。菓木栽培法 藤井徹著 明治8年 前期 全4冊 園芸 和本 古文書。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。泰山金剛経 五福大来 二幅で。大阪新町細見之図 澪標。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。青木宗胡『鉄槌』(三冊=巻一~三)江戸時代和本 徒然草鉄槌 吉田兼好「徒然草」注釈書。名作歌舞伎全集 全25冊 戸坂康二他監修。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。w∞10 江戸期 万葉集略解 全30冊揃 橘千蔭 永樂屋東四郎 和歌 古典 萬葉集 木版 和本 / B01。☆E0196和本江戸天保8~10年茶書茶道「茶式花月集」4冊揃い/絵入古書古文書/木版摺り。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。荷風全集 全30冊 新版 永井荷風。☆E0353和本江戸宝暦9年(1759)大坂の陣写本「難波戦記要覧」上中下合1冊揃い/古書古文書/手書き。母は後水尾天皇皇女女二宮。●極上和本YM4926●江戸明治和本等>〈狂歌〉富士百景画譜 真入亭富士江作 聚栄堂主人編。岡本椿処『三冝山荘印譜』限定300部 昭和54年落合藤市刊 落款篆刻印譜集 河井セン廬に学んだ篆刻家。幼名は多治丸。Ba-375/心中好に本の日 近松心中もの/L8/61220。写本 貝原益軒「筑前続風土記 博多 四」江戸時代写 印記「山内所蔵」江戸時代和本(写本)地誌 九州・大分県郷土史料 筑前国続風土記。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。子だから双六。超美品◎本◎浅草弾左衛門 関東穢多頭と江戸文化◎同和文献保存会◎江戸社会と弾左衛門の世界。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。美女愛猫之図。◆古書◆和本 真理活用鏡 完 佐藤 安五郎 著 明治27年初版。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている | |||
HP | 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。新吉原大門之図。m22◆安政三年 御家老高木新兵衛殿 御巡見御用蒙仰当御領分江,,,◆下野国足利郡 古文書◆江戸時代 宿場 人足 栃木県@和本/古書/写本。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。ホスポルノ法他
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原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。第14帖。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。古文書 和書 長山正春 「師友紀譚」 藤田幽谷 豊田天功 会沢正志斎ほか 石河明善 息子 弘道館 助教 水戸藩 偉人 (レターパックライト発送)。●極上和本YM4875●江戸明治和本等>堀之内詣 堀の内詣 堀内詣 初版本 稀書往来物。東京勧業博覧会場総全景紀念。w234◆新田大光院 開山呑龍上人伝 完◆明治11年 絵入り 仏教 群馬県@和本/古文書/古書。●極上和本YM4867●江戸明治和本等>〈童男児女手本〉鎌倉一覧文章[鎌倉詣]蓮池堂 稀書往来物。短冊ー29 酒井抱一 しほ檐桶は沖の霞や汲行く。えぞがしま 川上澄生。和漢三才圖會 百工具 容飾具 服玩具 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 武器 兵器 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。●A/和本 和読要領 上中下 江都書肆 須原屋新兵衛 享保13年 江戸 和本。相撲桟敷割図。全集 日本の歴史 全17冊 松本武彦他。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。藤詩選和解都々一 初・二・三編 3冊 歌謡 和本 古文書。近代医療の夜明け!/[碩田醫報第三號・佐野〇逹・明治14年(1881)]/碩田醫報社/大分県の医療史。●極上和本YM4883●江戸明治和本等>塩竈詣文章[塩がま詣]仙台板 稀書往来物。肉筆扇面 浮田一惠。校正地方凡例録。写本「滄海拾珠」明治初期写 明治時代和本 明治初期の社会学などに関する写本。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。かわらばん 黒船来航(仮題)。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。教育歴史双六。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。大野麦風版画 秋(仮題)。威海衛進撃之図。芝居刷物 梅柳櫻かが染。●極上和本YM4887●江戸明治和本等>上州妙義詣 寛政板 高井蘭山 初版本 稀書往来物。共産主義用語辞典。治生草。●極上和本YM4928●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋欠 本多月楽 延享3年。新聞「日本心霊」昭和六年十一月廿日 第四百八十九号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-5】。●極上和本YM4924●江戸明治和本等>なまづくにぶるひ 鯰部類大全 木訥野夫編 災異。榊亮三郎 自筆書簡6通+葉書25通(真筆保証品)田中秀央宛 昭和8-16年消印 サンスクリット学者と西洋古典学者の交流。B15739 家系永代記録 白紙:真作。★0550和本江戸寛永8年(1631)東洋医学「済民記」全1冊/杉田良庵玄与版/古書古文書/木版摺り。美濃国村高帳(21郡) 江戸中期頃写。切支丹宗門禁止等につき起請文。常盤雪中之図。●極上和本YM4881●江戸明治和本等>和歌浦名所文章 和歌名所記 文政板 稀書往来物。養素斎印譜 解説付き 合計4冊 長尾甲署 竜野満黄編 景年文庫 昭和5年発行 全3冊 古本 サイズ約31.8x18.8cm 解説 1冊。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
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