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新品 :12158115876
中古 :12158115876-1 |
メーカー | d1b87459 | 発売日 | 2025-04-27 12:54 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「人非木石皆有情」白氏文集・漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻)
閉じる夕霧(国宝・源氏物語絵巻)
閉じる女二の宮(落葉の宮)を訪ねる夕霧
閉じる夕霧と女二の宮(落葉の宮)
自筆「源氏物語」の「夕霧(ゆうぎり)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。千首宋人絶句 2冊全 上海涵芬楼 線装本 唐本漢籍 古籍善本 民国期 漢詩 検索⇒支那 彫版 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙 白棉紙 清朝。
「夕霧の巻」の主人公「夕霧」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う柏木として描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。●極上和本YM4875●江戸明治和本等>堀之内詣 堀の内詣 堀内詣 初版本 稀書往来物。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。川北温山『温山文 巻下』明治14年 深澤良助刊 漢詩文集 肥前島原藩藩士 明治時代和本。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。東京勧業博覧会場総全景紀念。現在の今上天皇と系譜がつながっている。浅草観音山内之景。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。w234◆新田大光院 開山呑龍上人伝 完◆明治11年 絵入り 仏教 群馬県@和本/古文書/古書。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM4868●江戸明治和本等>武蔵府中〉六社詣[府中六所詣]滕耕徳 稀書往来物。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。●極上和本YM4867●江戸明治和本等>〈童男児女手本〉鎌倉一覧文章[鎌倉詣]蓮池堂 稀書往来物。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。朝岡興禎著 太田謹増訂『増訂古画備考』(全4冊揃)明治45年 吉川弘文館刊 日本美術史 日本絵画史 画人伝 印譜・落款多数掲載。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。短冊ー29 酒井抱一 しほ檐桶は沖の霞や汲行く。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。中国 陶瓷器 328図 原色版 2冊全 検索⇒支那 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 釉裏紅 唐三彩 斗彩 天目碗 兎豪 五彩 粉彩 明朝成化 明朝嘉靖。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。えぞがしま 川上澄生。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。大沼枕山序『月花集』明治2年序刊 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。和漢三才圖會 百工具 容飾具 服玩具 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 武器 兵器 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。★H533和本江戸安永3年(1774)江戸城の職務記録「御本丸廻状留」1冊/古書古文書/手書き。また、各巻ごとの書かれた年については不明。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。従って、応永五年とは、書き始めの年である。花のこだま 俳諧 楚岳編。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。『喫茶養生記』限定880部 昭和54年 かまくら春秋社刊 承元五年栄西筆「喫茶養生記」(寿福寺所蔵・重要文化財)複製版。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。●A/和本 和読要領 上中下 江都書肆 須原屋新兵衛 享保13年 江戸 和本。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。古文書 「水戸裁許」 安政の大獄 徳川斉昭 水戸藩士 処分 書き上げ 歴史資料 江戸時代(レターパックライト発送)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。相撲桟敷割図。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。岳陽楼記 巻菱湖 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩巻菱湖NF。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。全集 日本の歴史 全17冊 松本武彦他。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。女学生徒之図。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。一礼之事。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。藤詩選和解都々一 初・二・三編 3冊 歌謡 和本 古文書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。いせ大和まはり名所絵図道のり。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。近代医療の夜明け!/[碩田醫報第三號・佐野〇逹・明治14年(1881)]/碩田醫報社/大分県の医療史。
出品した「源氏物語」は夕霧(ゆうぎり)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。仮面 復刻版 (聖盃改題) 全29冊 閑川左木夫他監/日夏耿之介他。「夕霧」の巻名は、夕霧が柏木の正室(朱雀院の姫君・女二の宮)落葉の宮に書き送った和歌「山里のあわれをそうる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」による。●極上和本YM4883●江戸明治和本等>塩竈詣文章[塩がま詣]仙台板 稀書往来物。源氏の君と葵の上の長男・夕霧は、病にふせる柏木を見舞う場面は、国宝「源氏物語絵巻」に美しい画像として描かれている。信濃高遠藩領高遠城下中林家古文書●江戸末期 中林家先祖書と家系図法名 6点 伊那郡高遠城下 現在の長野県伊那市 240328。柏木は、自分がなきあとの正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の行く末を案じ、友人の夕霧に遺言として女二の宮の後事を託す。肉筆扇面 浮田一惠。柏木なきあと、落葉の宮と称される女二の宮の世話をするために法事の世話などの用事にかけつけて落葉の宮をあう。★B58和本江戸天保15年(1844)漢詩文「大橋先生書」1冊/大橋長左衛門/古書古文書/手書き/龍渓書屋蔵。そこで、恋心がつのった夕霧は、落葉の宮との結婚を願うようになる。校正地方凡例録。夕霧と会う落葉の宮を心配する母の一条御息所は、心配のあまり夕霧に手紙を送る。和本 写本 大工雛形 江戸時代 肉筆 絵図 伝統建築 宮大工 仏閣 社 98丁 古文書 古典籍。だが、その手紙は夕霧の正室・雲井雁の発覚によって夕霧に渡ることはなかった。写本「滄海拾珠」明治初期写 明治時代和本 明治初期の社会学などに関する写本。娘・落葉の宮の出家の希望を聞いた父・朱雀院(前朱雀天皇)は、一条宮の邸に連れ戻される。●極上和本YM4962●江戸明治和本等>〈教訓〉福寿経綸録(安永9年) 稀書 上巻やや破損。しかし、夕霧の希望により落葉の宮との対面の機会が生まれ、二人は婚儀を行なう。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。源氏の君と紫の上はこれも運命と考え忠告するのを控える。小児福神舞之図。夕霧と結婚した落葉の宮は、その後、多くのこどもを授かり幸福な時を過ごす。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。
自筆上部の「人非木石皆有情」人木石に非ざれば皆情あり「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。●極上和本YM4865●江戸明治和本等>〈新版再刻〉江之島詣文章(江嶋詣)滕耕徳 稀書往来物。夕霧の巻の一節「岩木よりけになびきがたきは、契りとうてにくしなど思うやうあなるを」の一文による。かわらばん 黒船来航(仮題)。夕霧の巻の原詩は「木石」であり、夕霧の巻は「岩木」であるが、古来「白氏文集」に由来されているとされる。羽州庄内田川郡湯温海村絵図。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
「夕霧」の巻は英文で「Evening Mist」と表記されます。●極上和本YM4916●江戸明治和本等>〈名方家蔵〉婦人療治手箱底 乃底 小幡玄春 原装美本。
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)漢詩の落款が押捺。教育歴史双六。夕霧の原文に引用されている。★0372和本江戸文政10年(1827)写本「逸史」12冊揃い/中井竹山/江戸羽沢山房/松崎慊堂の塾/丹羽悳與/木村儀卿/古書古文書/手書き。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。)
「自筆原本」
自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。解剖訓蒙 全8冊 約琴・列第(レイデー)原著松村矩明他訳。
自筆上部の「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。大野麦風版画 秋(仮題)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。東海道鉄道真景。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。威海衛進撃之図。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。●極上和本YM4927●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋付 本多月楽 延享3年。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・夕霧の原文に引用されている。芝居刷物 梅柳櫻かが染。》
《打(うち)と(解)け給へ》・・・・るまゝの御袖のあたりも
なよひかに、けちかうしみたる匂ひなと、とり集めて、
らうたけに、やはらかなる心地し給へり。勧進相撲勝敗表。
風、いと心ほそう、更け行(く)夜のけしき、むしの音も、
しかの鳴く音も、瀧の音も、一つにみとれて、艶なる程なれは、
たゝありの、あはつけ人とに、寢覺しぬへき空の氣色を、
格子もさなから、入(り)方の月の、山の端近き程、
とゝめかたう、物あはれなり。●極上和本YM4887●江戸明治和本等>上州妙義詣 寛政板 高井蘭山 初版本 稀書往来物。
「猶、かうおほし知らぬ御有樣こそ、かへりては淺う、
御心のほと知らるれ。六諭衍義大意 享保7 初版本 室鳩巣 道徳書寺子屋手習本 享保の改革 徳川吉宗 洪武帝 検) 国学戦前明治大正古書和書古文書古本PK。かう世つかぬまて、しれしれしき後やすさなとも、
「たくひあらし」と、おほえ侍るを。共産主義用語辞典。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。『(覆製版)韻偶大成 上・下巻・姓氏録(全3冊)』 【著者】上村才六、石川忠久(編)【発行所】松雲堂書店。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《夕霧、恋する女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)と御簾(みす)越しにお話しになられる》
《夕霧、女二の宮(落葉の宮・朱雀院の皇女)に対面し恋の訴えをなさる》
《宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)のお人柄のやさしく気高くしとやかでいらっしゃるところは、
なんといってもやはり格別のお方に見える。2097良如 花押 仏教 ■御文章■御文■ 浄土真宗本願寺派第13世宗主 准如の子 江戸初期前期時代物 版本 大本 和本古書古文書和書骨董古美術。ずっとご心労でいらっしゃった
そのためか、宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)は、細やかにやせて弱々しく可憐(かれん)な感じがして、
普段着の》・・・・・ままでいらっしゃったお袖(そで)のあたりもなよやかに、
お召物にたきしめてある薫香のにおいなど、そのすべてがいたわしくも
柔らかな風情(ふぜい)をたたえていらっしゃる。●極上和本YM4928●江戸明治和本等>江戸めぐり[江戸内めぐり]題箋欠 本多月楽 延享3年。
風がまことに心寂しく吹いて、更けてゆく夜の気配は、虫の音(ね)も鹿の鳴く声も滝の音も、
一つにまじりあい風情も優艶(ゆうえん)な折とて、ただありふれた無趣味な者であっても
寝入ってはいられそうもない空の景色である。珍品 巻物 徳川家康 本多忠勝 明石明五郎 慶長十六年 山法書 諸国金銀山定法山例 古文書。
そうしたところへ、格子(こうし)もそのまま上げてあるので、入り方の月が山の端に
隠れようとしている趣は、涙のとめようもないくらいに思いをそそられる。新聞「日本心霊」昭和六年十一月廿日 第四百八十九号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-5】。
(夕霧)「やはりまだこうして私の気持をお分りいただけないようなお仕向けでは、
かえってお心の底が浅くに存ぜられます。★0351和本江戸宝永5年(1708)植物擬人化浮世草子「草木軍談賤爪木」4冊/絵入古書古文書/木版摺り。これほど世間知らずで愚かしくご安心な点なども
まずほかにはあるまいと存ぜずにはいられませんが、・・・・《何事によらず気軽にふるまえる
身分の者にかぎって、この私のような人間を痴者(しれもの)とあざ笑って、思いやりのない
ふるまいにもおよぶそうです。●極上和本YM4924●江戸明治和本等>なまづくにぶるひ 鯰部類大全 木訥野夫編 災異。》
備考・落葉の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。中支戦局詳解地図。柏木は生前、友人の夕霧に落葉の宮の行く末を遺言として託していた。榊亮三郎 自筆書簡6通+葉書25通(真筆保証品)田中秀央宛 昭和8-16年消印 サンスクリット学者と西洋古典学者の交流。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。医方類聚 校点本 全11冊 中文 浙江省中医研究所他校。
《Evening Mist (夕霧)》
Her sleeves, pleasantly soft and rumpled―
for she had not been expecting guests―
gave off a friendly sort of perfume,
and indeed everything about her was gently, quietly pleasing.
In upon a sighing wind came the sounds of the mountain night,
a humming of insects, the call of a stag, the rushing of a waterfall.
It was a scene that would have made the most sluggish and
insensitive person postpone his rest.
As the moon came over the mountain ridge he was almost in tears.
"If you wish your silence to suggest unplumbed depths you
may be assured that it is having the opposite effect.
You do not seem to know that I am utterly harmless,
and so without pretense that I am easily made a victim of.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《夕霧》
身穿一家常便服,袖部手臂非常。★0550和本江戸寛永8年(1631)東洋医学「済民記」全1冊/杉田良庵玄与版/古書古文書/木版摺り。
周身衣香人,遍体无不可,真有无限温柔之。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。
此夜色深,秋瑟。美濃国村高帳(21郡) 江戸中期頃写。根虫吟之声、山中鹿之声,
与瀑布之声混合一致,其音十分凄。東京勧業博覧会全図。夜色清幽,
即使是常感之人,亦必于入寐。切支丹宗門禁止等につき起請文。格子窗犹未,
落月已近山。完品 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『ちりめん本 日本昔噺』(全5冊揃)明治31-大正15年 長谷川武次郎刊 チリメン本 縮緬本。般凄凉景象,令人泪落收。常盤雪中之図。
夕霧公主:“到此刻装作不了解我的子,
反而成浅薄了。sw0412 刊年不明 ◆和本◆ 「女文章都文箱」 製本及び発行:辻本。像我不世故、
愚可靠的人,世无其。●極上和本YM4881●江戸明治和本等>和歌浦名所文章 和歌名所記 文政板 稀書往来物。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」夕霧の巻の末尾(原本番号73-A)の押印。写本「歌仙三十六句」文化七年写 江戸時代和本(写本)絵入狂句集。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。養素斎印譜 解説付き 合計4冊 長尾甲署 竜野満黄編 景年文庫 昭和5年発行 全3冊 古本 サイズ約31.8x18.8cm 解説 1冊。冬姫は内大臣・通誠の養女。H22-027 古事類苑 兵事部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。。
冬姫は通称。日本橋北神田浜町絵図。正式な名は伊達貞子。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 長次公 延享 古文書。左端の写真は「夕霧の巻」末尾の拡大写真。まくり 小杉放菴。
左上は、「人非木石皆有情」の印。福沢諭吉全集 全22冊 福沢諭吉 慶応義塾編。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。雪中之花。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。東条琴台編『聖世紹胤録』(全2冊揃)明治3年 青松軒刊 明治時代和本 歴代天皇系図集 天皇家資料 神道資料。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(夕霧の巻)MRI 39―10B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「夕霧の巻」主人公・夕霧の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる夕霧。●極上和本YM4894●江戸明治和本等>小野篁歌字尽大全(横本・寛政以前刊)稀書往来物。
病床の柏木を見舞う夕霧。羽柴秀吉大徳寺焼香之図。左が柏木、右が夕霧。国訳漢文大成 全20巻揃 大正14年 第4版 サイズ 約16cmX22,5cm 菊判 天金。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。伊藤東涯『秉燭譚』(全五巻五冊揃)宝暦13年 古義堂蔵版・文泉堂刊 江戸時代和本。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩文の落款が押捺されている。☆E0353和本江戸宝暦9年(1759)大坂の陣写本「難波戦記要覧」上中下合1冊揃い/古書古文書/手書き。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。●極上和本YM4926●江戸明治和本等>〈狂歌〉富士百景画譜 真入亭富士江作 聚栄堂主人編。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。岡本椿処『三冝山荘印譜』限定300部 昭和54年落合藤市刊 落款篆刻印譜集 河井セン廬に学んだ篆刻家。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。Ba-375/心中好に本の日 近松心中もの/L8/61220。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。写本 貝原益軒「筑前続風土記 博多 四」江戸時代写 印記「山内所蔵」江戸時代和本(写本)地誌 九州・大分県郷土史料 筑前国続風土記。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。美女愛猫之図。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。◆古書◆和本 真理活用鏡 完 佐藤 安五郎 著 明治27年初版。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。新吉原大門之図。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。m22◆安政三年 御家老高木新兵衛殿 御巡見御用蒙仰当御領分江,,,◆下野国足利郡 古文書◆江戸時代 宿場 人足 栃木県@和本/古書/写本。撮影後、展示のために再表装をしております。ホスポルノ法他。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。★0449江戸期和裁型紙「徳用仕立ぱつちもも引立縫之法」1点/古書古文書/木版摺り。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。新撰大工雛形 五巻合本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。マルクス・エンゲルス全集 53冊 マルクスエンゲルス。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。阿片始末。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。古文書 豊田天功 書簡 御文庫役宛 歴史資料 水戸 彰考館総裁 (レターパックライト発送)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。●極上和本YM4854●江戸明治和本等>〈文政新撰〉伊勢参宮往来 十返舎一九 極美本 稀書往来物。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。阿房宮賦 文徴明 巻菱湖 江戸期 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩NF。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。令嬢詠歌之図。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。皇国花旭郭手踊全図。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。日光東照宮眠猫。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。完品 山宮允編 エドガー・アラン・ポー原著 日夏耿之介訳『大鴉』昭和11年 訪書書局刊。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。☆長春閣蔵品展観図録 大型本 川崎男爵蔵品 中国美術56点 牧谿/因陀羅/卒翁/徽宗皇帝/白良玉/馬麟/舜挙/顔輝/日本書画 昭和13年A1673-2。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。猪熊浅麿著・古谷紅麟画『旧儀装飾十六式図譜』(全2冊揃)明治36年 京都美術協会刊 彩色木版画譜 公家の調度品を誂えた16席を描く。母は後水尾天皇皇女女二宮。●極上和本YM4864●江戸明治和本等>上州草津温泉往来 十返舎一九 原装本 稀書往来物。実母は近衛家女房(瑤林院)。f240502007〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都墨田堤 東京都墨田区向島 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。幼名は多治丸。南山遺響 南谷上人 享保19 書道 江戸時代 仏教仏書検)拓本楷書臨書行書草法書書書画法帖折帖法書御経折帖写本習字小野道風王羲之漢籍漢詩NF。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。☆3437和本明治15年(1882)儒学儒教「五経(易経/書経/詩経/礼記/春秋)」11冊揃い/古書古文書/木版摺り。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。レCL1366サ●「浄土血脈論」 上下 合本 沙門袋中集 承応3年 仏教/江戸期/和本/古書。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。錦繍段 天隠竜沢 貞享4年 漢詩集漢学詩学唐詩漢文 臨済宗 江戸時代 検)禅宗仏教儒教 古書和書古文書古本PK。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。教訓画 源為朝の図。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。★0341和本江戸宝永6年(1709)戦国時代の歴史「本朝三国志」32冊一括/織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/古書古文書/木版摺り。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。たのしい学級経営12カ月〈4〉中学校 (1980年) あゆみ出版 ※イタミ有。
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