アレン・M・サムナー (USS Allen M. Sumner , DD-692) は、アメリカ海軍の駆逐艦。艦名は第一次世界大戦で活躍したアメリカ海兵隊大尉アレン・M・サムナーに因む。1943年12月15日にアレン・M・サムナー未亡人によって命名、進水し、1944年1月26日に艦長ノーマン・J・サンプソン少佐の指揮下就役した。 4月8日にニューヨークに帰還、信頼性試験を行った。ニューヨークへの帰還は7月5日のことであった。途中で、ノーフォークに短期間留まり対潜水艦と対航空機の戦闘訓練を行い、8月29日にパナマ運河を通過した。11月29日、フィリピンのサンペドロ湾に着任。 12月2日「アレン・M・サムナー」はオルモック湾夜戦に参加した。偵察機からの報告はその夜日本軍の輸送船団がオルモック湾に入港することを示しており「アレン・M・サムナー」は僚艦「モール」、「クーパー」とともにこの輸送船団を撃破するために送られた。一〇〇式司令部偵察機の投下した爆弾が船の右舷船首から30ヤード至近距離で爆発、破片は船体を貫通し、船内では火災が発生した。夜半、3隻の駆逐艦は、二隻の敵艦をレーダーで探知した。探知から9分後、戦闘が開始され、「アレン・M・サムナー」と僚艦は「桑」に砲撃を集中し、「桑」を撃沈した。どうにか脱出できたのは乗員の半数程度だった。3日に「アレン・M・サムナー」と「モール」はオルモック湾から撤退を開始し、その日のうちにサンペドロ湾に到着した。この間サンペドロ湾は断続的な空襲にさらされたが、9日後に「アレン・M・サムナー」は修理を無事完了した。部隊は日本軍の空襲を受けたが、「アレン・M・サムナー」に損害はなかった。翌日、「アレン・M・サムナー」はミンドロを出発した。