両艦は石炭を補給し、4月21日にリオデジャネイロに向かった。波と向かい風のため巡航は遅れ、4月30日までリオデジャネイロには到着しなかった。5月4日にオレゴンは出航し、ブラジルのバイアに停泊後、5月18日にバルバドスに燃料補給のため到着した。オレゴンは66日前にサンフランシスコを出航し14,000マイル以上を航海した。「オレゴンのレース The Race of the Oregon」はジョン・ジェームズ・ミーハンによって作られた。他方では、この巡航がパナマ運河建造の反対意見を全て押し流すこととなった。このことはパナマで失敗したフランスの事業をアメリカ合衆国が買い取り、運河を完成させるのを説得するのに大きく役立つこととなった。サンチャゴ・デ・キューバ海戦において、オレゴンはその奮戦で「マッキンレーのブルドッグ McKinley's Bulldog」の愛称で呼ばれ、その後ニューヨーク海軍工廠で修理を行い、1898年10月にアジア戦隊に戻る。
ロシアから帰還したオレゴンは1919年6月12日に再び退役した後、8月21日から10月4日まで短期間再就役した。1920年7月17日に海軍が採用した「BB-3」の船体番号を付与された。1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により、オレゴンは非武装化されることになり、1923年に武装解除され、1924年1月4日に条約に適合していることが宣言された。1925年6月に海軍からオレゴン州に貸し出され、ポートランドに係留され、博物館船として修復された。1941年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃でアメリカ合衆国が第二次世界大戦に突入すると、海軍はオレゴンをスクラップとして売却し、戦争に必要な資源を確保すべきと判断した。1943年3月、解体のためワシントン州カラマに曳航されたが、作業開始後、海軍はオレゴンが1944年半ばに予定されていたグアム再攻略の際に、保管用ハルクまたは防波堤として利用されると判断した。その後、グアム攻略軍を支援するための弾薬を搭載し、艦隊の一部としてグアムに曳航された。この間、1948年11月14日から15日の夜、係留中のオレゴンはアグネス台風の風雨と波浪で係留を解かれ、漂流を開始した。オレゴンはグアムに曳航され、1956年3月15日にマッセイ・サプライ・コーポレーションに売却され、同社は川崎の岩井産業株式会社に再売却した。1/350 ポントスモデル アメリカ 戦艦 ミズーリ1945 ブルーデッキ ディテールアップセット (タミヤ用)【艦船模型】未組み立て品。●TAMIYA タミヤ アメリカ海軍 原子力航空母艦 CVN-65 エンタープライズ 1/350 艦船78007 プラモデル 未組立●。M o d e l W a r s h i p s . c o m - G a l l e r y。